黒田稲皐『農耕図』日本画 和紙 まくり 原画 約10号 真作保証 最高 1点物

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☆作品について江戸時代の絵師黒田稲皐先生の作品が、お隣の島根県の骨董屋さんから出てまいりました。作品をじっくり見たところ、まくりですね!!襖絵を襖から外して板に上手く貼り付けた様です。作品に破れ・傷・経年の汚れございます。黒田先生の作品は鳥取県指定文化財にもなっております。ユーモアのある、和む作品ですなぁあ〜。☆観てくださるだけで嬉しい限りです。☆ 黒田 稲皐鳥取藩士・林源三郎の弟として生まれる。文化4年(1807年)から9年(1812年)の間に鳥取新田藩(東館藩)池田家の家臣・黒田家に養子に入る。江戸時代後期の絵師、鳥取藩士。本姓は林。名は文祥。通称は六之丞。字は叔奎か。号ははじめ稲葉、のち稲皐。藩主池田仲雅の近習となり、しばしば江戸へ赴き公務を勤めた。幼少の頃から画を好み、藩絵師土方稲嶺に写生画法を学んだ。稲嶺は病の床で稲皐を枕元に呼び寄せ、「我が門流中、相当の技量ある者のみ、画号に稲字を冠せしめよ」とかたったとされ(『鳥取藩史』)、師の信頼が厚かったのを見て取れる。また、弓馬、刀槍、水練などの武芸にも長じ、落款には「弓馬余興」の印をしばしば用いた。更に「因州臣」「因藩臣」と入った作もあり、これらは自分はあくまで武士であり絵は余興にすぎないという稲皐の矜持を表している。当主仲雅の没後は役務を退いて画業に専念した。家には鷹を飼い、池には鯉を放って、その飛翔遊泳を観察して写生した。人物、花卉、禽獣いずれも巧みであったが、特に鯉の絵にすぐれ、「鯉の稲皐」と呼ばれた。弘化3年(1846年)11月6日死去。60歳。墓は鳥取市玄忠寺にある。跡は甥の黒田稲観が継ぎ山水画を得意としたが、稲観は33歳で亡くなった。他の弟子に小畑稲升がおり、稲皐の墓前には稲升が寄進した水盤石が置かれている。

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